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東京地方裁判所 昭和42年(ワ)12138号 判決

理由

(給食代金債権の発生について)

訴外協和産業株式会社は給食業務請負を業とする会社であるところ、同会社が被告会社平塚工場において給食業務を請負つていたこと、および昭和四二年六月一一日より同年七月一〇日までの間給食業務を行い、その間の代金が四五二、八三〇円であり、被告会社に対し同額の債権を有していたことは当事者間に争いない。

(債権譲渡およびその通知について)

《証拠》を総合すれば、原告は昭和四一年一〇月訴外会社に二、五〇〇、〇〇〇円を貸付け、その弁済の一部として訴外会社から、昭和四二年七月二五日、訴外会社の同年六月一一日以降の被告会社平塚工場における給食代金債権の譲渡を受けたこと、および訴外会社の代表取締役福田喜一は同年七月二六日付で被告会社平塚工場長宛にその旨の通知をしたことを認めることができる。

《証拠》によれば訴外会社の代表取締役福田喜一は、昭和四二年七月二四日、被告会社平塚工場の給食関係担当者に対し、電話で「七月分(すなわち六月一一日から七月一〇日までの分)の給食代金は七月二八日に払つてもらいたい」旨申し入れをし、また同工場長に対し同年八月一日付書面で右債権の譲渡はしていない旨の通知をしていることが認められる。しかし前掲各証拠と対照するとこの事実をもつても右の認定を動かすことはできないし、他にこれを覆えすに足りる証拠はない。

なお右の通知が被告会社平塚工場長荒井国重宛になつていたことは当事者間に争いなく、《証拠》によれば荒井国重は当時平塚工場長ではなく工場長代理であり、見常忠夫が当時の工場長であつたことが窺えるけれども、《証拠》によれば、右の通知が荒井国重個人に宛てたものではなく、被告会社平塚工場長に宛てたものであることは一見して明らかであるから、この点の食い違いは通知の効力に影響を及ぼすものではないというべきである。そして《証拠》によれば、訴外会社の被告会社に対する給食代金のうち被告会社平塚工場における給食業務によつて生じたものは、同工場限りで決済がなされていたことが認められるから、平塚工場長に対する右のような通知をもつて、取引通念上被告会社に対する通知と認めるべきである。

右の通知が昭和四二年七月二七日に被告会社平塚工場に到達したことは当事者間に争いない。そうすると被告会社の係員が現実にこれを了知したか否かにかかわらず、到達と同時に通知の効力が生じたものであり、被告はその後の訴外会社に対する弁済をもつて原告に対抗できないことになる。

(債権の準占有者に対する弁済について)

被告は、「被告会社平塚工場の訴外会社に対する給食代金の支払いは従来、毎月訴外会社の給食担当責任者が提出する請求書に従つて右責任者に支払つてきたこと、本件の六月一一日より七月一〇日分までの給食代金についても、従前と同様に、訴外会社の給食担当責任者から七月二三日に請求書が被告会社に提出されたので、被告会社が七月二八日に同責任者に給食代金を支払つた」として訴外会社は給食代金受領当時、右代金債権の準占有者であつたと主張する。しかし仮に右のような事実があつたとしても、前記のとおり、債権譲渡とその通知があつた以上、このような旧債権者は債権の準占有者ではないと解すべきである。けだしそのように解しないと債権譲渡の対抗要件の規定によつて債権者を画一的に定めようとする法律の趣旨に反するからである。のみならず仮に債権の準占有者にあたるとしても、これに対する弁済が有効であるには債務者の無過失を要するものであるところ、以下のとおり被告会社が無過失だつたとはいい難い。すなわち《証拠》によると債権譲渡の内容証明郵便が被告会社平塚工場に到達した七月二七日当時荒井国重は出張中であつたため右郵便はそのまま放置されていたこと、その翌日の七月二八日に被告会社平塚工場の担当者は訴外会社の担当者に給食代金を支払つたが、更にその翌日の七月二九日に荒井が出張から帰り、はじめてその内容が被告会社において了知されたことを認めることができ、右事実に、通知が一見して被告会社平塚工場長宛になされていることが明らかであるとの前記事実を併せ考えれば、被告会社の担当者が弁済の当時訴外会社はすでに債権を他に譲渡していたことを知らなかつたことにつき無過失であつたとは到底いい難い。よつていずれにしても被告の抗弁は理由がない。

(結論)

以上のとおりであるから原告の本訴請求は理由があるからこれを認容。

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